上石津町三ツ里にある本堂寺
宝暦治水の水行奉行として活躍した東高木家の菩提寺です

本道寺の由来
むかし多羅(多良)に七所の堂社がありその根本地が、この寺であったので本堂寺といいました。本尊は大日如来で堂は八面四面という規模でしたが年代が古く荒廃したので貞享五年(1688)六月、高木藤兵衛貞次が本堂寺を再興して東高木家の菩提所としました。境内には東高木家代々の墓所があります。

舛屋伊兵衛の顕彰碑
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枡屋伊兵衛由来記の碑です
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舛屋伊兵衛顕彰碑 前岐阜県知事梶原拓 書 東高木家墓石群 本堂寺の裏手にあります
高木内膳という人物
松貞山本堂寺の裏手にある東高木家の墓所に葬られています。
東高木家の先祖は関ヶ原合戦後、多良の地に入郷し水行奉行として活躍し京都二条城の普請奉行も勤めています。
高木内膳貞往は東高木家第5代の当主で宝暦治水工事には三之手の普請奉行として大榑川洗堰の難工事の監督に当たりました。
この工事の時、人柱となった家来の桝屋伊兵衛(多良生まれ)を内膳は輪之内大藪の円楽寺住職に頼み手厚く葬っています。
上石津町にも桝屋伊兵衛の遺徳を偲び顕彰碑が建立されています。(平成10年8月) 内膳の妻綾子(理性院殿心誉髻光明大姉)の墓も、内膳の墓のすぐ傍にあります。
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