高木家由来のお寺!  正林寺(臨済宗妙心寺派)         平成18年5月1日
高木三家はそれぞれの菩提寺として妙心寺派の寺院を建立しています。
西高木家6代貞輝が享保13年(1728)に正林寺を建立しました。貞輝が、中世より既に奥にあった真言宗系寺院の正覚院のうちの一坊を禰宜上の常楽庵跡にうつしたので、正林寺という寺号となったといいます。

馬瀬にあった観音寺は、住古は天台宗と伝えられていますが、裏山に文治5年の経塚があり、古くから観音堂のような堂宇が結ばれていたと思われます。寛文5年(1665)にいたり、北高木家2代高木貞元がこの霊域により北方の慈渓寺三世大春元貞を請じて観音寺を建立し、菩提寺としたと伝わっています。

2009年(平成21年)3月26日午前10時半頃 火災が発生し残念ながら本堂が全焼 消失してしまいました。
残念です!
松ノ木の本堂寺は、かつて天台宗に属し多羅七堂社の中心で、七所のうち最大であったことにより本堂寺と称されたといいます。
江戸初期には荒廃しましたが、万冶年中妙心寺派の僧宗円が来住して小宇を構え、のち領主の東高木2代高木貞次が延宝9年(1681)に建立し菩提寺としたものです。
宝暦治水で活躍した枡屋伊兵衛の由来が書かれた碑が設置されています。

山門をくぐると正林寺があります 歩け歩け運動で正林寺を訪れた時の様子です
境内で住職にお寺の由来などの説明を聞きました
現在の住職の高木さんは、9世です。
左手には、観音堂があり安置されている観音様は44体です。昔馬瀬の観音寺にあった観音様で一時期上多良の瑠璃光寺の近くに移設安置され昭和33年に現在の地に安置されたそうです。 西国三十三所観音堂です
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大垣市重要文化財の十六善神図です    右の説明図をクリックすると大きな画像になります 地蔵堂です 禰宜上地区で疫病が流行り地元民の願いから奥から移されたところ疫病が治まったと伝えられています。地蔵堂には毘沙門天像が安置され享保14年(1729)奥村から禰宜上に迎え入れた古文書が残されています。
後ろの墓地には西高木家のお墓があります
正林寺の前にも大きな黒松があります
これも薩摩ゆかりの松かもしれませんね?
関が原方面から国道365号線上石津トンネルを出てすぐ出光のガソリンスタンドのある信号を右折1Km弱の所にあります

公共交通機関では、大垣駅から名阪近鉄バス多良・時線で禰宜上バス停下車